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23:39:08
さて 法輪寺から降りてきてから、次はどうやって移動しようか。。。と思案
行先は決まってるんだけど、バスの接続があまり良くない。。。
DSC_0231_20160201211459c1a.jpg
渡月橋のたもとにあるバス停で待とうか。。。と思ったけど、冷え込みがきついので
ぼんやり待っている気になれない。。。
ちょっと体を動かすつもりで少し先のバス停まで行こう
と そんなこんなで、最初の目的地
DSC_0236_20160201211503bc6.jpg
嵯峨釈迦堂こと清凉寺に到着~~
堂々たる門構え!
DSC_0237_201602012115062a6.jpg
説明書きを読んでみる。。。もともとは源氏物語の光源氏のモデルとも言われる
源融(みなもとのとおる)の山荘「棲霞観(せいかかん)」で、没後に棲霞寺となったのが始まり
DSC_0238_20160201212945cdb.jpg
945年に等身大の釈迦像が安置されたのが、嵯峨釈迦堂の通称の由来という
その後、奝然上人が宋から釈迦如来立像を持って帰国。その像の安置のために大清凉寺の建立を計画したが
志半ばで没したため、弟子の盛算が清凉寺を建立して安置した。
DSC_0239_20160201212948a46.jpg
境内に入ると 左手に多宝塔 その横に源融、奝然上人の墓、嵯峨天皇、檀林皇后の宝塔
その奥に 聖徳太子殿、狂言堂があるんだけど、よくわかってなくてそっちに行かなかった。。。痛恨のミス!
DSC_0240_2016020121295275f.jpg
分からないながらもとりあえず目についたものは写真に撮っておく。。。
あとでちゃんと調べたら、この宝篋印塔は源昇の墓。源昇は源融の次男で、様々な役職を歴任して、最終的には
正三位になった人。河原大納言と呼ばれた。
DSC_0241_201602012129533da.jpg
その奥にあるのは一切経蔵。なにやらお経を読んでる声が聞こえる。。。
近づいてみると、なんのことはない、スピーカーから案内が流れているだけだったw
中には回すと一切経を読んだのと同じ功徳が得られるという輪蔵がある
正面に見える像は傅大士(ふだいし)。中国の在家仏教信者で、輪蔵を発明した人らしい

そして こちらが本堂。中には前述の奝然上人が持ってきた釈迦如来像
この像はインドの人が作ったものを奝然さんが模刻して、中に5人の中国尼僧が絹で作った五臓六腑を入れた
昭和28年にこれが発見され、なんと1000年前にすでに体内の構造がここまで分かっていたということで
解剖学的にも貴重な資料となった。本尊の周りにはその五臓六腑やら清凉寺の巻物やらいろいろなものが展示されている
DSC_0243_20160201222704db2.jpg
そして 本堂の裏手から渡り廊下がつながっていて、庭が見渡せる
数メートル先で右手に直角に曲がっている回廊で囲まれた部分に。。。
DSC_0245_20160201222711e72.jpg
赤い落ち葉が少しだけ残っている。梅みたいだけど
それだけじゃないのかなぁ。。。
で 直角に曲がっている所の奥にあるのは。。。
DSC_0246_201602012227105e6.jpg
池(放生池)に弁天堂。 ここには降りていけなないのかなぁ。。
DSC_0250_20160201223450b0e.jpg
この角度がなかなか素敵!
弁天堂は江戸時代後期の物らしい。。。
回廊の先は方丈があって。。。
DSC_0247.jpg
方丈の南庭園は小堀遠州!
と。。逆光でこっちから見ると、落ち葉もめだって、なんかとっちらかった感じですが。。。w
DSC_0248.jpg
こっちから見るといいね!
遠州の庭は何か所も見てますが、この感じは
御香宮神社のに似てるかなぁ。。。う~ん それより聚光院の利休作の庭のほうに似てるかも
DSC_0253_201602012249357b8.jpg
本堂から出てきてからも、見るものがいっぱいありすぎてちょっと混乱してくるw
こちらは阿弥陀堂。阿弥陀三尊像は奥の霊宝館にある。
あ ちなみに本尊の釈迦如来はもちろん阿弥陀三尊像も国宝
DSC_0254.jpg
なにやら 歌碑もある。。。
こちらは女優の中村芳子さん(夕霧太夫)の歌
調べてみるとこれまた一つの物語。。。
夕霧太夫(初代)は1678年に若くして没した島原の太夫。太夫というのは最高位の遊女のこと。
昭和22年にこの実在した夕霧大夫が主人公の歌舞伎「廓文章」にちなんで
井筒八つ橋本舗が生八つ橋の草分けとして「夕霧」と名付け発売。

その後、父で歌舞伎俳優の中村雁治郎さんの生家・扇屋が夕霧太夫ゆかりのお店であったこと
から、女優として活躍していた中村芳子さんは、60歳にして、廓文化の継承のために
二代目夕霧太夫を襲名。父のゆかりの清凉寺で夕霧供養祭を初めて、その後七年間活躍して
67歳にしてお亡くなりになりました。

この歌碑は、二代目夕霧太夫を偲んで井筒八つ橋本舗の方が建立したもの。
”あでやかに 太夫となりて 我死なむ 六十路過ぎにし 霧はかなくも”
DSC_0255_201602012249419d4.jpg
こちらは大正~昭和にかけて活躍した 歌人、脚本家 吉井勇の歌碑。
祇園をこよなく愛した人で、吉井勇を偲ぶ「かにかくに祭」が祇園甲部で行われている
”いまもなほ なつかしとおもふ 夕霧の 墓にまうでし かへり路の雨”
こちらは初代夕霧の事を詠ったんでしょうね~
DSC_0258_20160201233006178.jpg
本堂の左手には秀頼公首塚
豊臣秀頼の頭蓋骨が大阪城の調査で昭和55年に発見され、
秀頼はいくつかの寺院の再興に力を尽くし、その一つである清凉寺に首塚が昭和58年に建てられたそうな。。
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西側の門から 本堂を一瞥して、見どころいっぱいだった清凉寺を後にする~~

冬の寒い時期と、天竜寺など観光客いっぱいの嵐山からは少し離れている奥嵯峨の入口ってことで
人はやや少なめ。もうちょっとゆっくり見て回るべきだったかなぁ~と思いつつも
また見に来ればいいか。。。ってことにして、次の目的地へ~~

今回はいろいろ調べたなぁ。。でも書ききれていない!
次回もよろしく↓

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